Assassin's Creed俯瞰視点

今回はAssassin's Creedというゲームが、一つの終焉を迎えてしまったという話をしたいと思う。(※ゲームのストーリー上のネタバレを多く含みます

Assassin's Creedは最も好きなゲームタイトルの一つで、ゲームを語る上でも欠かせないタイトルであった。
今でも一部でカルト的人気を誇るのがAssassin's Creed(一作目)で、 ゲームの舞台は1191年。1189〜92年にかけて行われた第3次十字軍遠征のまっただ中である。
第 3次十字軍の遠征は、1187年にアイユーブ朝のサラディンがエルサレムを占領したことが発端となった。このときサラディンはエルサレム王国の首脳陣を殺 さずに解放。首都を奪われた首脳陣は、王国政府の首都をアッカに移した。つまり、聖地奪還の名目で第3次十字軍はエルサレムに侵攻することになる。エルサ レムの占有権を巡ってイスラム勢力と十字軍が争うことになるが、十字軍を手助けしエルサレムに忠誠を立てているのがテンプル騎士団だ。
テン プル騎士団は長らくアサシン教団の宿敵であり、今回アサシン教団はリチャード王率いる十字軍と、それを迎え撃つイスラムの英雄サラディンとの抗争で起きた エルサレム市民への圧迫を解放(平和を乱す者の徹底排除)するために事態の収束を図り両軍の幹部を暗殺するという計画を立てる。
その計画の刺客が主人公アルタイル・イヴン・ラハドである。
要人を暗殺していると、彼らが自分の野心のためだけに悪事を働いていたのではなく、共通の目的に従っていることが分かる。それはテンプル騎士団の暗躍によるものであった———と続く。




アルタイルは歴史上最高のアサシンとして、Assassin's Creed,Assassin's Creedブラッドライン,Assassin's Creed Revelationsでその姿が描かれることになる。
Assassin's Creed Revelationsでは主人公ではないにしろ、壮年のEzioがアルタイルの遺した秘宝を使ってアルタイルの記憶を辿る形で操作できる。
それまでのアルタイル像というのは、アル・ムアリム(当時のアサシン教団の長)殺害前と後という分け方で区別されていたように思う。つまり一作目とブラッドラインという作品の分け目だ。
Assassin's Creed Revelationsの存在で、それは大きく変わることとなった。アル・ムアリム存命時の若く実直で質実剛健な刃のような精神は、師の暗殺までの過程で大きく変わる。まるでダマスカスの刃のような、強さに併せ決して妥協しない心と他人への思いやりが「ゆらぎ」となって共存していた。
晩年のアルタイルは、なにか執念のようなものに支配されていたように思える。アッバスというアルタイルを敵視し続けた哀れなアサシンを退け、愛妻という単語では言い表せない絆を共にしたマリアを亡くし、その最期をPoEと共にマシャフに自身を閉じ込める選択をとる。

・「なぜそうしたか?」「なぜそれができたか?
そう考えると、やはり遺産を通してEzio(Assassin's Creed 2の主人公)に知ってもらいたいという一心であったろう。テンプル騎士団のこと、PoEのこと、自身が見聞きしたそのすべてを。
またアルタイルの持っていたPoEには、未来を見通す力があったはずだ。晩年ダブルブレードや仕込み銃を使っていることから、Assassin's Creed 2で写本の内容を読まなかった人にもなんとなく伝わるだろう。これは推測になってしまうが、現代のアサシン、デズモンドのことも見通していたのではないだ ろうか。
Assassin's Creed Revelationsのラスト、マシャフでEzioがアルタイルの遺産を使ったあとアルタイルの亡骸を離れPoEを再び封印する瞬間まで、Ezioの記憶を再体験しているのはデズモンドであり、これはつまり三世代アサシンの対話である。
アルタイルの記憶を疑似体験したEzio(預言者、メッセンジャー)の記憶を疑似体験している現代のデズモンドという構図だ。
ここでEzioもデズモンドの気配を察してか、虚空=デズモンドに話しかける場面がある。ほんの一瞬でまるで会話になっていない一方的なものだが、とても感動ものである。

・なぜ感動するのか?
Ezioの物語はここで終わるのである。『デズモンドの存在を知覚できた』ことでの感動は否定しないが、これがEzioのアサシン生涯を通して成したことかというと、そうではない。
彼のメッセンジャー、預言者として、つまるところ『受け継ぐもの』から『与えるもの』としての転換が終着点だったのだ。その物語の終幕への感動が一番大きいものとなっているのは、シリーズを通してみてきた者として当然あるように思う。
よく「Ezioシリーズ完結なのに、初回特典のEmbersがないとEzioの死が描かれていなくて、通常盤では終わっていない」と言われるが、それは違うということだ。
その証拠に、デズモンドは最後「やるべきことは分かっている」といって昏睡状態から抜け出し、アニムスから飛び出そうとしている。
デズモンドに伝えられるべき全ての意思、情報、能力は伝えきったことが伺える。

シリーズを改めて見てみる
ここでもう一度考えたいのが、シリーズの変遷だ。
アルタイルの物語を伝える役目としてのEzioの物語は、三作にわたっている。
勿 論シリーズ二作目のAssassin's Creed 2が大好評を博し、世界にそのシリーズの名を轟かせることになったのはこの人気のおかげである。そのため、Assassin's Creed BrotherHoodを出さざるを得なかったようでもある。舞台のモチーフは面白いし、相変わらずの華やかなルネッサンス期だ。それにマルチプレイも加 わった。PoEによく触れている人物という点では、確かにEzioは重要だが、それこそアルタイルの方が未来の話など重要そうでもある。
マルチプレイは革新的で、確かな手応えもあった。それが原因だったのだろうか。Assassin's Creed Revelationsでは、マルチプレイに関して大幅なボリュームアップがなされた。
この変革は決定的なものであったように思う。
アルタイルとEzioの物語は『与えられるもの』デズモンドに行き渡り、残すは現代編のテンプル騎士団の野望を砕くのみとなった。Assassin's Creed Revelationsのマルチプレイで見られる資料にも、テンプル騎士団がデズモンドの父であるウィリアム・マイルズ=ターゲットを補足したことが描かれている。
過去のアサシンの話が終わり、最大の人気をほこるアサシンも役目を終えてしまい、最新作もマルチプレイのボリュームを上げにきている。
もし2012/12/21にAssassin's Creed 3が発売するとしたら、今までとは全く違ったものになりそうな気がしてならないのだ。
今までのメインストリームであったストーリーテラーたちがいなくなり、逆に言えば変えるとしたら今のタイミングなのだ。

まとめ変化には犠牲がつきものではあるが、果たしてその変化が受け入れられるモノになるのかは微妙だ。
ただでさえ日本ではあまり売り上げが伸びる気配がないし、これからもそう伸びないだろう。既に3と名前がついてしまっているのだから、入りづらいことこの上ない。
個人的には考えつかなかったような遊びの幅を広げる方法で、一旦デズモンドの話を終わらせてあげて欲しい。その後に被検体No.4の話などあつかっていただければ面白いと思う。

Assassin's Creedシリーズは私の人生に多大な変化をもたらしてくれたことには感謝しているし、最後までファンでありたいと思っている。しかし、例えばマルチプレイ前提のような誰も予想できず望まなかった展開だけは避けて欲しいと願ってやまない。

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