夢のはなし

 からだというのは、人にとって最も身近でつきあいの長い物体だとおもう。それゆえに、自分のからだにある特別な思いを抱いている人というのは、多いのではないだろうか。
 例えば体質に対するストレスはその人に常にまとわりついている呪いのようなものだ。わたしにおいて例えを出すなら、水ぶくれだろうか。水ぶくれはぶよぶよしていて、皮膚が肉から浮いているようなあの感覚が記憶の中で強く印象に残っているのだ。ぶよぶよした部分の皮膚は白くなってしまっていて、まるでお風呂でふやけた手のシワのようだった。その白くなった部分をいじってしまうともう大変で、皮膚がその部分まるごとびりッと破れてしまうのだ。
 夢の中は物理法則に従うこともあれば、そうでないこともあって、かなり気まぐれだ。夢の中でわたしは高く跳べることがとても多いのだが、怪我をするというのは物理法則に従っていると言っていいだろう。今回はそうした夢にまつわる話をしていきたい。
 夜中になって、わたしはアメリカのニュータウンの街並みをあるいていた。まだ人がまばらにいる時間で、風が心地いい秋の雰囲気を感じていた。ブロックの角地にあるアパートの白いモルタルの塗られた入り口から入っていった棟内は暗く、廊下は月明かりしかついていないような薄暗さだった。近くでサーカスのようなお祭があって、それで電気を消していると聞いていたような勘違いのような。夢の辻褄の合わせ方ったら適当でも夢を見ている人を説得できてしまうので不思議だ。そのあとピエロが出てきたりサーカステントが出てくることは無いというのに。アパート内で魔法のように右腕全体が水ぶくれになったのは、サーカスのマジックかもしれないが。
 腕全体が水ぶくれになるなんていうのはありうるのだろうか。皮膚は全体が浮いてしまって、白くなったまま肘の部分で大きく二つに分かれてしまった。体験したことなんてないはずなのに、その光景や感触がいまだに頭の中にしこりのように残っていて、わたしはそんな夢と現実の相互関係にとても興味があるのだ。

 また夢について話したいことがあれば。ではその時まで。

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