Bloodborneの世界を作り込む(1)


 FROMSOFTWARE期待の新作、『Bloodborne』の発売後すぐにプレイしてその世界を歩いていた私はこんな風に思った。「この緻密な計算のもとに作られた世界をしっかり堪能して遊んでいる体験をシェアしてみたら、きっともっとゲームが楽しく見えるんじゃないだろうか。」このブログにアクセスしていただいた皆さんには、Bloodborneの世界について私と一緒にぜひ考えていただきたいのである。

はじめに

 最初は時代についての話からしていこう。Bloodborneの世界の時代は19世紀ビクトリア時代と書かれている(参考:公式HP)。
 ビクトリア時代とは、実在したイギリス帝国を1837年から1901年まで統治していたヴィクトリア女王の時代に他ならない。ビクトリア時代は産業革命によって経済の成長が成熟し、イギリス帝国が繁栄を極めた時代として知られている。しかし同時代は初期には植民地紛争、中期にはロンドンの暴動があり後期には現在も未解決である「切り裂きジャック」の事件と失業者の暴動である「血の日曜日」事件が起こるなど陰惨さも多く含まれていたことをまず頭に入れておきたい。
「血の日曜日」,1887年(The illustrated London Newsより)

-ヤーナムの病

 Bloodborneの舞台であるヤーナムは、とおく東の山間部にあるとされている。ここでは風土病が蔓延しているのだが、そうして狂った人間を狩るハンターとして主人公たちがいるようだ。
 風土病とくると一見なんだか便利な都合のいいもののように思えてしまうものだが、実際の19世紀における風土病・伝染病・感染症の発見記録は凄まじい数に上る。というのも、先ほど説明したようにこの時代に産業革命が起こった結果として科学が興り、そのことで細菌の発見ができるようにまで科学が発達したからである。例えばハンセン病、マラリア、腸チフス、結核、コレラ、破傷風、ブルセラ症にペストと赤痢は19世紀に発見されたのだ。中でもマラリアは風土病として現在でも有名であることを鑑みれば、仮にヤーナムという山間部の市街が実在したとして、そこに風土病があってもおかしくないのだ。
そうした設定の細やかさというのは、世界を作り出すためには非常に重要なのである。

-ヤーナムの工業

 ここからは工業の話に移ろう。産業革命によって鉄道や白熱電球などの工業も科学に加えて盛んになったが、いずれも中心はロンドンであり、イギリス全土にそうした技術が拡大するにはかなりの時間を要したことが現在知られている。
 そう、ヤーナムはとおく東の山間部にあるので、事実上の首都であり都会であるロンドンとは違って田舎なのだ。そこには最新の白熱電球ではなく以前のガス灯があって然るべきなのである。ガス灯は19世紀半ばに日本にもやってきたが、海外ではそれ以前より使われていた。そしてガス灯を利用し始めた当初はガス灯における換気の必要性を考えずに室内においてもガス灯が使われていたのだが、これがヤーナムの世界にしっかりと反映されていることは画像1からもわかるだろう。
画像1(Bloodborne, ヨセフカの診療所)
  若し舞台がロンドンであれば、都心部ほど明かりは白熱電球に変わっていて、ロンドン郊外に向かうにつれてガス灯が街灯として見られるように作るはずだ。
 また、ゲーム最序盤を過ぎてプレイヤーが訪れることになるヤーナム旧市街においては、市街にはガス灯を、室内には燭台を灯して明かりとしている。街の作られた時代にあわせて街の技術もしっかり後退していることを反映させているのだ。

-ヤーナムの市民

 さて、ヴィクトリア時代はイギリス帝国の歴史の一部であり、イギリス帝国は当時世界各地に植民地を作る植民地主義をとっていた。これは資本主義と同じで、搾取する少数と搾取される多数で作られた仕組みである。
 となると、1887年に起きたロンドンでの「血の日曜日」事件が失業者や労働者が起こしたものであるという事実も、そうした搾取する者たちへの反抗と考えると分かりやすい。たしかにヴィクトリア時代は産業革命に代表されるように幅広い分野の発展と研究が進んだ時代ではあるが、こうした進歩は、売春や児童労働、および、労働者階級の搾取や植民地の搾取と考えられる活動に殆んどの基盤を置く経済に依るのだと現在では考えられている。
 そのために、ヤーナムに出てくる敵や市民は農具を持った農民であったり娼婦であったり飲んだくれであったりして、決して身分の高い人間というわけではない。加えて、彼らは今までのソウルシリーズのように自分たちのいる舞台をファンタジーとしていないために、より現実に即した舞台作りを目的として言葉(英語)をしっかり喋ることは、プレイした人には納得の理由なのではないだろうか。
 獣の病の蔓延によって街が焼かれ見捨てられた旧市街の獣たちも元は人間であったからこそ、彼らに人間性を認め守るものさえ存在することも、そうした背景を受けてのことだろう。
古狩人のデュラ(Bloodborne, ヤーナム旧市街)

-ヤーナムの芸術

 加えて、産業革命により発展した科学と工業の技術によって形成された経済基盤に基づく経済的な余裕からヴィクトリア女王は芸術にも貢献し、絵画の世界ではターナー、ミレー、ホイッスラー等高名な画家を多数生み出した。もう少し話すと、この時代の絵画界では文学的・歴史的なモチーフが好まれ、同時に風景画が初めてその産声をあげ写実主義派が誕生するなどしたが、Bloodborneの世界において、これら芸術作品が見られないことは残念である。廃城カインハーストにある絵画ばかりの部屋は前時代のものであろう肖像画が占めていることからも、この時代の絵画芸術が行き届く場所ではないことがわかる(画像2)。
画像2(Bloodborne. 廃城カインハースト)

-ヤーナムの建築

 建築においてはこの時代らしい建築様式が用いられているようだ。ゴシック様式と言われているこの建築様式は、リブ・ヴォールトという支え柱によって壁を薄く高くすることが可能になったためにできる建築で、実在する建物を挙げるとアミアン大聖堂やケルン大聖堂などの教会建築に用いられている。イギリスではこうした支柱から伸びたフライング・バットという“つっかえ”を外に出す形式は好まれず、壁の一部に組み込まれ見えないようにした。12世紀から16世紀に用いられたこのゴシック建築様式は、18世紀から19世紀にかけて再評価されゴシック・リバイバルの時代と呼ばれる。つまるところ、ヴィクトリア時代の建築様式がこれである。
 プレイヤーは最初の建物である診療所を出ると巨大な建造物がゴシック様式で建てられているのがわかるだろう。もっとも分かりやすい特徴は、建物全体が四角く、勾配のきつい屋根と装飾としてガーゴイルが用いられた点、そして尖塔が備わっていることだ(画像3)。
画像3(Bloodborne, ヤーナム市街)
 さて、ヤーナム旧市街に目線を移してみよう。ヤーナム旧市街では主にロマネスク様式の建築が見られる。ロマネスク様式は建築様式史の中ではゴシック様式にたどり着くための助走のような位置づけをされていて、尖塔がなく窓が高所に小さく設けられているのみで、多くはゴシック様式より無骨な印象のうかがえる建築様式だ(画像4)。
 ここでもしっかりと現実世界の一部を背景に持つゲームとしての意識があることが認められるのだ。
画像4(Bloodborne, ヤーナム旧市街)

-ヤーナムの宗教

 最後に、信仰においてはヴィクトリア女王の治世の初期にはオックスフォード運動/トラクト運動が盛んであり、これは教会が国から独立しようという運動のことを指したことに触れておきたい。ヤーナムの医療教会もまた、その流れを受けてより孤立していったのだろうか。
 加えて、ヴィクトリア時代真っただ中の1890年代には神智学やその他のオカルト趣味が勃興を見せる。これこそまさに聖堂街に建てられた教会のおどろおどろしい装飾に見られるオカルトの隆盛を裏付けるものなのだ(画像5)。
画像5(Bloodborne, 大聖堂)

-おわりに 

 次回『Bloodborneの世界を作り込む(2)』では、ゲームシステムの面からBloodborneの世界をいかに作っていったかについて、再びみなさんとともに触れていきたいと考えています。次回の更新をお楽しみに。

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