めちゃめちゃ衝撃を受けた。
いやこれめちゃめちゃすごいストーリーじゃないですか。
プレイした人が周りにいなくて「シリーズやったことあるならオススメだよ」なんて言ってくれる人いなくて、これほど素晴らしいストーリーに触れて人に喋りたくないわけでは無いだろうし、それで今まで触れてこなかったわけです。PS4で『Bioshock the Collection』に収録されるまで、ずっとね。
今日はこのまま勢いで行く記事です。ネタバレはあります。
『Bioshock』シリーズって親子の話なんですよ。
シリーズ一作目は黒幕であるフォンテインと主人公ジャックが親子関係で、直接の親としてはライアンの遺伝子が入っている人造人間です。
シリーズ二作目は主人公である実験体デルタと黒幕のラムが両親で、ヒロインのエレノアがその子です。育ての親というと、また別の人が出てくる。
今作であるシリーズ三作目では、主人公デュイットが父親で、ヒロインのエリザベスがその子でした。育ての親というと、黒幕カムストックです。
こうしてみると、シチュエーションが違うものの、必ず一貫して似ている要素があるんですよね。
今作ではそれをメタった内容をストーリー上の仕掛けとして非常に大きい所に位置付けているのが驚きの中の根源にあるんでしょう。
それが、量子力学です。
雑に言うと「実はシリーズは全て平行世界の出来事で、出来事と出来事の因果は変わらないけれども、その因果を歴史上では違った形で見せることになる平行世界もある」ということでストーリーで説明がされます。
この“因果は変わらない”がシリーズ各作品の人間関係であったり、今作のストーリー上で平行世界に移動しても結婚してる人は結婚しているままといったようなものでした。
“違った形で見せる”とは、シリーズ二作目までの海底都市が今作での空中都市であり、今作のストーリー上のチェン・リンが結婚した相手が中国系の人か北欧系の人かという点でした。
こうした「仕掛け」によって、前作までのヴィタチャンバーがなくても平行世界から別の主人公がストーリーを引き継ぐという形にしてゲーム上の復活を果たしているというゲームシステムにも説明がつくので、ストーリーだけでない細かい所でも得してる感じがします。
また『Bioshock』シリーズは「なぜプレイヤーはゲームの進行に従うのか」ということをストーリーで解決してきたのですが、これも今作では様々な要素で説明していて、そのうちの1つが「そういう因果だから」です。
シリーズ一作目では、そのようにプログラムされた人造人間だからゲームの進行に従っていました。
シリーズ二作目では、自分を助けるという目的で蘇らせられた父だからゲームの進行に従っていました。
そのDLCでは、自分を救うために自分の命令をきいてゲームの進行に従っていました。
そして今作では、自分が過去にやったことを受け入れ、贖い、やり直すという結果を得るために死ぬという因果を持つためにゲームの進行に従うことになります。
自分のプレイする世界の主人公デュイットは、たくさんの平行世界の自分の犠牲の果てにこの因果を断ち切ることができ、遂にやり直すことができます。つまりハッピーエンドなのですが、やり直すということはそれまでの全てを無かったことにしてもう一度選択肢を与えられることなのです。エンディングでエリザベスとなる前の幼き娘がいるらしいシーンがあるために、一緒にストーリーを進めてきたデュイットもエリザベスも完全にいないのとになります。これがもとで「2度とやりたくないストーリーだ」とも言われています。まとめるとこうです。
主人公デュイットがやり直すまでのあらゆるストーリーを覚えているのはプレイヤーしかいない。
これがあるがために二周目をプレイする際にプレイヤーの精神に非常に重くのしかかるものがあることは想像し易く、そうした「登場人物は忘れてしまったけれども」というエンディングのあるフィクションは常にそうした要素を持っているのは、他の作品でもそうですよね。
しかしこうした要素を持つ作品は、心に残ることもまた確かです。
「やり直したくないくらいはっきり覚えているし、心に残るストーリーのあるゲームだった。だから、2度とやりたくないけれど、やってみてほしいくらい面白かった。」これがこの作品の魅力を説明できる言葉なんじゃないかなと思っています。おおざっぱだけど、これでいいよね。
ちなみにDLCについてですが、これも素晴らしい出来です。