serial experiments(Far Cry 5 感想)

lainの話はしません。

こんにちは。すべらきです。

みなさんFar Cryというゲームシリーズをご存知でしょうか。
Far Cryはシリーズの実質的なリブートが3からかかり、執筆現在は5まで出ています。今回はFar Cry 5で非常に興奮したのでその話をします。

Ⅰ.Far Cryシリーズのストーリー
Far Cryシリーズにおけるストーリーは、各作品における舞台こそ違えど以下の2点に集約されると思います。
ひとつは、「ゲーム(フィクション)だからってやってはいけないことを考えろ」
もうひとつは、「多面的に物事を捉えてみろ」です。
説教ですね。説教好きなんですよねきっとこのシリーズのストーリー書いてる人。

で、シリーズ最新作の5もその例に漏れないのでそこまでとタカをくくっていたんですが、すごかった。
それ以上のものを持ってくるとは思いませんでした。
それは何かというと、ゲームプレイヤーを使っての実験を行ったのです。

Ⅱ.古典的条件付け
「古典的条件付け」という言葉に聞き覚えは?
心理学の領域の生物実験で有名な言葉です。
例えばボタンを押すと餌が出る装置をハトに与える。ハトはボタンを押して餌が出ることを覚える。次にボタンを押しても餌が出ない装置を与える。ハトはボタンを押し続ける。
例えばbeep音の後に犬に餌を与える。犬はそれを食べる。よだれを流す。次第にbeep音だけを流す。犬は食べてもいない餌によだれを流し続ける。
報酬と罰により学習をした脳ある生物は、古典的条件付けによりある一定のルールの支配下に置かれることが多々あります。

この「古典的条件付け」は、Far Cry 5 の敵が人を操る手段として、音楽を用いることで再現されています。又、その言葉をストーリー上主人公に対して用いることで、ゲームプレイヤーは「古典的条件付けで人は洗脳されたように学習してしまう」ことを学びます。

つまり、主人公=プレイヤーが古典的条件付けを獲得するまでの経過をプレイさせられます。
その内容は、古典的条件付けに用いられる音楽をBGMに、決められたルートに配置された敵兵士を時間内に殺し続け、最後のターゲットを殺すまで最初からやり直しさせられるというものです。
この内容は期間をあけて三回続きます。

これが今回プレイヤーを使った実験になっているとは、プレイ中は思いませんでした。
「ターゲットが実は味方の有力人物で、夢から覚めたら味方を殺してたみたいな感じかな」と結末は想像できるものの、「でも顔見たら撃つの躊躇して遊んだりできそうだな」と思っていました。
思っていたんです。現実は違いました。
私は「今回も実験の一環だろう」と思って、ゲームを攻略していました。その気分のまま、見知った場所にいると予測される方向に銃の狙いを定め、即座にターゲットを殺していました。
それが味方の有力人物だと気づいたのは殺したすぐ後でした。

Ⅲ.なぜ殺した
「なぜ殺した」
今回もシミュレーションだと思っていたからです。
「なぜ殺した」
夢の中のことだと思っていたからです。
「なぜ殺した」
自分は洗脳されていないと思い込んでいたので、慎重さを欠いていたからです。
「何故殺した」
1。2、3。1。2、3で撃って全部終わりだ。リズムが身についちまったんだ。

Ⅳ.忘却
古典的条件付けはルールから外れた結果を与えられ、それがある一定の閾値を超えると忘却されます。
自分を信頼してくれていた人物に叱責され、罵倒され、「今すぐお前を洗脳したやつを殺してこい、それまでにお前を見かけたら、次はこの手で殺してやる」と寛大な慈悲を受け、プレイヤーは全てに気がつきます。
あらゆる選択肢が委ねられていたはずだと。
きっと古典的条件付けを獲得せずに済んだ人もいるでしょうけど、私は洗脳されてしまいました。
委ねられていたはずの選択肢を私は選ぶことができませんでした。
この事実は忘却されずに、今も胃の底を焦がすように燻って私の気持ちに影響を与えています。

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