#SEKIRO 仙峯寺の申(見る猿、言う猿、聞く猿、 )考察


こんにちは。すべらき(@T0340T)です。

今回はTwitterでも話題にした仙峯寺の申について少し加筆してお話しします。

仙峯寺には変若の御子が奥の院にいらっしゃるのですが、そこにたどりつくためにはボスの「見る猿、言う猿、聞く猿、    」を攻略しないといけません。
そこで、「なぜサルなんだろうか」という疑問が出てくるわけです。なぜサルなんだろう。

答えは仙峯寺の本尊にあります。
仙峯寺の本堂には本尊が安置されていて、その本尊は以下の点から、観自在菩薩であると見受けられます。
・手が複数あるため、千手観音(観自在菩薩、観音様)の特徴がある。
・たくさんの菩薩像が並び、千手観音の三十三面(あらゆる形で人を救うことができることの表れ)を表現している。
・髪型が悟りを開いていない菩薩特有のものである。
・仙峯寺のモデルである清水寺の本尊が、千手観音である。
観自在菩薩は観音菩薩、ひいては観音様、千手観音と同じ存在です。
それがどうサルと関係があるのかというお話をします。

観音様は「安底羅大将」という別の姿があり、薬師如来にお付きの十二神将という武神の1人です。
十二神将は十二方角を睨みつけ、薬師如来とその信者を煩悩という悪から守るために戦う存在です。
十二方角を守るということで、十二支とも結び付けられ、しばしば十二支の姿で十二神将を表現することがあります。
例えば『弘法大師修法図』(葛飾北斎・作)では、病に倒れる人々の暗喩である死にゆく木に寄り添いながら鬼と戦う戌の姿が描かれていますが、これは十二神将の中でも戌に例えられる「伐折羅大将」の暗喩であるとされています。
そこで「安底羅大将」はどの十二支で喩えられるのかと言うと、申なのです。

また、「安底羅大将」のご利益は、余計な考えを取り去り不安を打ち消す「精神安定」だとされています。
この申たちのいる神域に、神隠しで送り込むことができるNPCに小太郎というものがいますが、これは俗世では大変に精神が不安定であることは言うまでもありません。亡くなっていった者を偲ぶために使う風車を欲していて、目は常に死者のいるところを見つめています。
その彼を神隠しし、申の庇護下にある神域に送ることで精神が落ち着いて静かにゆったりとした時間を過ごしているようです。
これは「安底羅大将」のご利益であると言えるのではないでしょうか。

まとめると、仙峯寺の本尊である観音様の別の姿である安底羅大将は申として喩えられるため、仙峯寺のボスは申なんでしょう。
私は美術鑑賞が好きなのですが、そこで絵の表現として十二神将を干支に喩えるという解釈を知り、その記憶と結びつけてお話をしました。なので、専門的には誤っていることもあると思いますので、楽しんで読んで頂ければそれ以上はありません。

以上、仙峯寺のわたしなりの考察です。
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