ヴァーチャル・シンコペーション:VTuberにおける過去と未来の共鳴


こんにちは。すべらき( @T0340T )です。
今回は、ずっとやりたかったVTuberと美術のコラボレーション企画の第一回目の記事を書きました。

皆さん、VTuberを楽しんでいますか。
今回は、記事内容に関してVTuber界隈の少し繊細な話題に触れますので、ご了承いただいてお読みください。

去る2019.10.09、活動から1年4ヶ月をもって有閑喫茶あにまーれの宇森ひなこが引退をしたぐらいの時に書いています。
最近では残念ながら引退も珍しくなくなったこのVTuber界隈ですが、新人VTuberもまだまだ生まれていることもまたあります。その中には過去を精算し、再起を図るVTuberもたくさんいます。いわゆる"転生"というやつです。

最近、私宛に一通のお便りをいただきました。要約すると、以下の内容になります。
「新人VTuberの初配信を見ていたら、初配信にも関わらずコメント欄に尊敬する神絵師の方が何人もいてびっくりした。その新人VTuber自身もとても絵が上手くて、過去に何をやっていた人なのかとても気になった。すべらきさんは、何か知っていますか」
そのお便りをきっかけの1つとして、私はそのVTuberの配信を見に行くことにしました。
そのVTuberは、よく知った声をしているけれど、知らない見た目をした別人格でした。

転生というのは非常に繊細な話題です。
というのも、転生したVTuberは転生前の自分を公表しないことも多いですし、その意図を読み取った旧来のファンがVTuberの過去をイナゴのように貪る新規ファンの空気の読めなさに苛立ちを覚えていることも目にしたり、実際にそういった悩みを相談されたりしたこともあります。

では、これが全くの配信未経験の新人である場合はどうでしょうか。
その人の持つ文化的素養の背景には何があるのか、才能という言葉の裏にある努力はいかほどのものだったのか。
なるほどたしかにその新人が過去にやっていたノリ(学生時代のプライベートなど)を持ち込むのはナンセンスですが、その人となりを識ることは悪いこととは言い切れないと思います。

話は変わりますが、先日私は箱根の仙石原にあるポーラ美術館へ「シンコペーション:世界の巨匠たちと現代アート」という展覧会を観に行きました。

"本展覧会は、ポーラ美術館の絵画、彫刻、東洋陶磁など多岐にわたるコレクションを、現代美術の第一線で活躍する作家たちの作品とともにご紹介するものです。(中略)展覧会タイトルである「シンコペーション」(切分法)とは、音楽において、リズムを意図的にずらし、楽曲に表情や緊張感をあたえる手法です。"—公式HPより

過去の巨匠の作品から一要素に焦点をあてて、現代アートの作品たちとどこか共通点を見る人に見出してもらうような、とてもキュレーターの感性に富んだ意欲的で面白い展覧会だったことを覚えています。

シンコペーションについてもう少しくだけた説明をするならば、前小節(過去)に出した音が現在の小節(現在)につながって音の流れを形成している様子を言います。
少し乱暴な言い換えですが、和歌の本歌取りのような形式とも取れます。リスペクトやオマージュ、影響を受けたという表現も似たものですね。

例えば展覧会では、ルネ・マグリットの《前兆》に描かれた「洞穴の中から鳥のシルエットが潜む雪山」を挙げ、石塚元太良が写真撮影した《Le Conte_Glacier#001》の「アラスカの氷河が偶然くり抜かれた洞穴から望む景色」とシンコペーションを形成した『偽る風景』として紹介しています。
現実にない現実を描いたシュルレアリスムの巨匠ルネ・マグリットの絵と、実際に現実にあるものを撮影した石塚元太良の写真が同じく『偽る風景』を作っているというのはなんとも運命的な出会いです。

このように、過去から未来につながる共鳴が、私たちの感覚や記憶を刺激して揺り動かすことを感じて欲しいのです。
それは私たち全員に共通している感覚です。
VTuberの過去のコンテンツ表現と、現在のコンテンツ表現が出会う時、どのようなシンコペーションが生まれるのでしょうか。

ようやく本題となります。
今回は、VTuberの過去と未来についてシンコペーションを用いて考えてみましょう。

私たちが楽しんでいるあらゆるコンテンツ表現は、そのコンテンツメーカーの過去のある時点とシンコペーションを形成してリズムを生みます。

例えば私が好きな例で言うと、Yunomiサウンドと周防パトラの作曲についてシンコペーションを感じるとドキドキワクワクします。
きっと前者も誰かとシンコペーションを形成するものがあって、その人もまた……という歴史の流れを感じると胸が踊りませんか。
だからこそ『青い蝶』の異端さが何とシンコペーションを形成しているのか想像すると、もう心が飛び上がってしまうようです。


他にも「にじさんじのライバーに憧れて」という枕詞が新人VTuberの間で流行った時期があり、彼ら彼女らの影響というのは凄まじいものがあると考えざるを得ません。
その影響を捉え、似たような企画や志向を持つVTuberを追うのもまた面白いのかもしれません。

私が個人VTuberを追うことがあるのは、そうした色んな背景(シンコペーション)を聞くことが多くて、それが楽しいというのも一因だと思っています。

VTuber界隈では、さきに触れた通り転生前や受肉前の活動に主だって触れることがあまりなく、又、アングラに近い楽しみ方をする人もいることは承知しています。
ただ、私はVTuberをそうした制限のある存在というより、活動のための1つの手段として捉える人が増えて欲しいという思いがあるので、所謂"中の人"の一側面であることが意識できる人が増えたらいいなと思ってます。
有閑喫茶あにまーれの因幡はねるは「VTuberだからできないとは言いたくない」「VTuberだからできたことを増やしたい」といった内容のことを言ってますよね。
そういう考えが好きなんです私は。

そう意識することで、ひとつはまとめ動画の違った楽しみ方もできるのではないでしょうか。
今のまとめ動画は本当にただの見所のまとめであって、キュレーターのような過去と未来を繋げられる存在が「こうして見てみると面白い」という捉え方の提案をするタイプのものではありません。
私が目にした楽しみ方で面白かったのは、「周防パトラが夜空メルとASMRコラボをした後から、周防パトラ単体のASMRで夜空メルから学んだことを意識したようなシチュエーションが増えた」という意見です。確かに言われてみれば、そう思えてくる。これってキュレーターが見方を提案したシンコペーションではないのでしょうか。

ただコンテンツひとつをとって面白いと思うのも私はとても面白いのですが、界隈に流れる大小のストリームやコラボ、はたまた現実世界での経験によってVTuberのコンテンツ表現に生まれる共鳴を生む楽しみ方をする自由が、もう少し公に楽しまれるよう私は提案していきたいです。
ただ、課題は山積みです。
新旧ファンの衝突のような先ほど触れたものは勿論として、何より界隈に広く長く時間を時間をかけて歴史を蓄積していく個人の限界が一番大きいと思います。
自分にも何かできることがあれば、少しずつやっていきたいですね。

今回は、この辺で。
次回の記事までに、あなたの元にお気に入りのVTuber動画が増えますように。

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